後ろの席の男どもが授業中ざわざわと騒いでいてうるさかったので、堪忍袋の尾がぶった切れた私は、そいつらの脳天に思い切り教科書を叩き付けて、机を蹴り上げてやった。「うるさい黙れカス」と罵ってやれば、彼らは床に落ちた文具を拾うのも忘れて茫然と私を見詰めていた。
板書を追うことに懸命に専念していた室内の視線が一斉に私に注がれ、鳥肌すら立ちそうになる。少しだけそれを心地好いと感じる自分がいた。
教師の怒声がどこからか聞こえたような気がしたが、気にせず「良い気味だ」という意味をたっぷりと込めて彼らをせせら笑う。「何をしているんだ!」眠気を促すような授業をしていた教師が先程とはうって変わって教室中に鳴り響く大音量で発したその声の矛先にあったのは、目の前で阿呆面を晒している彼らではなく、私だった。
同時に、先刻まで馬鹿みたいに目と口を開けていた彼ら「またか」と呆れたような表情を浮かべ、一度は一心に私の元へ注がれた視線も、てんで散々にばらけ始めた。寒さにも似た感覚に、震えすら覚える。“またやってしまった”と。
保健室の戸をノックも無しに開け、挨拶もせずにつかつかと室内に入っていく私を、保険医は何も咎めることなく通した。そして、まるでそうするのが当たり前というような動作で、私を一番奥の窓際のベッドへと促す。そこは、私にとって所謂「指定席」というやつで、カーテンを静かに閉める保険医は相変わらず無言だったが、その顔には明らかに「また貴方ね」という言葉が書いてあった。私だって別に望んでこんなところに来ているわけじゃないのよ、と、反抗する気持ち半分、こんな面倒な生徒を押し付けられて先生も気の毒ね、と、申し訳なさ半分で、感情のやり場に困ってどうしたら良いのか分からず、とりあえず小さくお辞儀をする。頭を上げると目が合ったような気がしたが、すぐにそらされてしまった。私はそのことに少しだけ傷付く。
きっと気味悪がられているに決まっている。この教師だけじゃない。学校中の教師生徒全員が、私のことをまるで理解不能不可思議なものを見るような目付きで見ていることを、私は知っている。私は所謂ところのこの学校の“問題児”であった。
シワ一つなく敷かれたシーツの上に腰を降ろす。ここへ追いやられたのが私語をしていた男達ではなく、それを注意した私であることを理不尽だと奮起したが、あれが果たして「注意」と言えたかどうかを考えると、私も少なからず非はあったわけで、何もあそこまでする必要は無かったと反省する他ない。何度こうやってここで取り返しのつかないことに後悔をしたか、私はもう分からなくなっていた。
「開けるよ」という声と共に私の返事も待たずにカーテンを開けたのは、幸村精市だった。
彼の姿を目にして思わず自分の家でもないのに「いらっしゃい」と場違いなことを言ってしまったのは、私がこうやって追いやられる度に追い掛けるようにして彼が訪れることが、習慣になってしまっているからかもしれない。
「今日はまたえらく派手にやったね」
ここに来て初めて真正面から私に向けられた言葉。普段は包み込むように優しいその声が、この時ばかりはぴんと張りつめたように鋭かった。彼はそんなつもりで言ったわけではないのだろうが、私は咎められているような気がしてならず、思わず肩が強ばってしまう。そしてまた、それを見透かしたように「力、抜きなよ」と私の頭にぽんぽんと二度ほど軽く手を置くものだから、本当に彼は器用な人間だと思う。
それに比べて、私ときたら何て不器用なのだろう、と、自分という人間の駄目っぷりを自覚したら、悲しいやら悔しいやらでぼろぼろと涙が溢れ出てきた。「泣かないでよ。俺が悲しくなるから」そう言って彼は私を優しく抱きしめた。私に悲しくなって欲しくないからではなく、私の泣き顔を見て自分が悲しみに浸りたくないから私に泣かないで欲しいというニュアンスが少し伺えるその言い方が、何とも彼らしいと思う。
「君の感情は、時限爆弾みたいなものなんだよ」
彼はかつてこんなことを言った。
それを言われたとき私は、何だか納得出来るような、出来ないような、少し腹立たしいとすら感じた。だってそうじゃないか、爆弾というものは一度でも爆発してしまえば、粉々に砕け散り自分の身さえも跡形もなくなってしまう。私が爆弾のようだというのはつまりはそういうことで、一度爆発した私は、人格が破綻しているか、壊れているか、或いは狂っていると、この男はそう言いたいのだろうかと疑いすらした。
しかし、彼の言っていることとは裏腹に、私という人間は一旦怒りの潮時を迎えたところでしばらくすればまた普段通りの生活が送れるようになり、そのときの私は、人格が破綻しているわけでも、壊れているわけでも、或いは狂っているわけでもなく、至って普通なのである。これは一体全体どういうことなのか。
「簡単なことだよ。一度壊れてしまった君を元に戻してくれる奴がいるんだ」
それが俺ってわけ。あのとき彼は、そう言って今と同じように私を腕の中へと招き入れたのだ。そして確か、こんなことも言った。
「というかね、人間はみんな何かしら爆弾みたいなものを背負っているんだと思うよ、俺は。パラメーターがいっぱいになったら、誰だって怒ったり泣いたりするだろ。ストレスを溜めておく器、まあ導火線みたいなものかな、それの長い短いは人によって違うし、感情の表し方一つ取ったって激しかったり穏やかだったり、人それぞれだよね。君はたまたまその導火線とやらが極端に短くて、感情表現、そうだね、爆発の規模って言ったら良いのかな、そいつが物凄く派手なんだよ、きっと」
かつての彼の言葉をぼんやりと思い出しながら、ああ、この人は呆れるほど理屈っぽいなあ、と、思った。
「壊れた君を作り直すのは勿論俺だけど、目一杯の火薬を摘めて、その導火線を短くぶった切るのもまた、俺なんだよなあ」
耳元、いや、ずっと遠くからだったかもしれない、そんな声が聞こえたような気がした。
101206
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