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冬の陽射し

北風が容赦なく吹き付ける寒空の下、わたしは彼のいる街の駅に降り立つ。街が年末年始の催し事でばたばたと慌ただしい最中、わたしは一心に彼の家へと向かう。箱の中のケーキが崩れてしまわぬよう、細心の注意を払いながら、わたしは彼の住むアパートの階段をそろりそろりと昇る。

コートのポケットの中をごそごそとまさぐって合鍵を取り出し、かじかんだ手で苦戦しながらも何とか鍵穴をカチリと言わせてドアを開く。玄関には、おそらく入学式以来一度も履かれていないのであろうぴっかぴかの革靴があるだけで、そこにあの鉄下駄は並んでいなかった。少しだけ落胆する。そして、部屋の中からむわっとたちこめる埃っぽい空気に顔をしかめた。彼はここにいない。しかも何日も帰ってきていない。全て予想していたことだったが、それでも、今日くらいは彼が大きな図体をにょっきりと覗かせて「おー、よく来たばいね」と言ってくれるんじゃないかと、全く期待していなかったと言えば、嘘になる。そう、今日くらいは。今日くらいは期待しても間違っていないはずである。その理由は、わたしの左手にぶら下がっているケーキの箱を見れば、充分であろう。


彼の放浪癖は中学時代からのものらしく、大学生になった今でもそれは健在で、ろくに講義にも出席せずに気紛れにふらふらとどこかをほっつき歩いている、なんてことはしょっちゅうで、時にそれは長期間に及ぶこともある。そのくせ単位はしっかり取っているのだから、たいしたものである。そして、彼が長い間家を空けるたびにわたしがこうして部屋の掃除に来るというのが、もはや習慣のようになってしまった。


革靴の隣に自分のショートブーツを並べると、彼の足の大きさが際立って、何だか面白可笑しい構図になってしまった。そのままひんやりと冷たい廊下のフローリングに足を滑らせ、リビングへと向かうと、案の定そこは前に片付けに来たときの姿など跡形もなく、荒れ放題であった。長い経験から言うと、どうやら彼はゴミ捨てに行ったついでにどこかへ出掛けたくなり、その衝動に任せるがままにいなくなるらしく、部屋の中のゴミだけはきれいさっぱり無くなっていることが、せめてもの救いだった。これで何日も放置された生ゴミが腐臭を発して羽虫でもたかっていたら、たまったものじゃない。


テーブルにうっすらと積もった埃を掌で軽く払ってから鞄を置くと、台所へ向かい、ほとんど何も入っていないすっからかんな冷蔵庫にケーキを突っ込んだ。わたしは、この白く四角く冷たい部屋の四隅を目にするたびに、こいつは一体全体何を食べて生活しているのだろうと思ってしまう。


腕捲りをし、脱ぎっぱなし散らかり放題の洋服やしわくちゃのシーツを腕からこぼれ落ちそうになるくらい抱えながら、わたしは考える。彼は今日、きっとここに戻ってくる、と。洗濯機がごうんごうんと大音量で回る間、台所に立ち、痺れるほどに冷たい水に手を浸してシンクの汚れと格闘しながら、想像する。「今帰ったばい」という言葉と共に玄関のドアを開け、古びた鉄下駄を真新しい革靴の隣に並べる彼の姿を。部屋中の埃をはたきで叩き落とし、それを掃除機で吸い取る。洗濯機が脱水に取り掛かる音と、掃除機の発するそれとで室内に大轟音が渦巻く中、わたしは予想する。彼は「おー」と間延びした声と共にリビングに入り「いつもすまんばいね」と申し訳なさそうに言いながら、いつもの癖で頭の後ろをがしがしとかきむしるのだろう。そしたらわたしは、少し怒ったふりをして「まったく、もう」と言ってやるつもりだ。


「まったく、もう」のところで掃除機のスイッチを切ると、廊下の奥の方で「おー」と間延びした声が聞こえた。どうやら、部屋中の電化製品の音にかき消されて「今帰ったばい」の方は聞き逃してしまったらしい。


もじゃもじゃの髪の毛に落ち葉をつけて、のそりのそりとリビングに入ってくる大きな図体を視界に捉えるや否や、わたしは胸の奥にある柔らかいものが端の方からじわりじわりとあたたかくなっていくのを感じた。それは、春が近付いてくるときのあの感覚によく似ている。「いつもすまんばいね」という声を聞く頃には、わたしは身体中にはち切れんばかりに目一杯春を詰め込んだみたいになって、「まったく、もう」と言って頬をぷくーっと膨らませてやることなんて、すっかり忘れていた。何か言葉を発したら、わたしの身体の中に詰まっている「うきうき」や「どきどき」が声となって口元からぽろぽろとこぼれ、そいつらに羽でも生えてそのままどこかへ飛んでいってしまうような、そんな気すらした。そしてようやく、まるでつい先程コンビニに出掛けた恋人が帰ってきたのを迎えるのような調子で「おかえり」と言う。彼もまた、コンビニ袋を掲げて「寒いけどアイス食べたくなっちゃった」といたずらっぽく言ってみせるような、そんな調子で「ただいま」と言う。


「何か手伝うこと、あると?」


「後は洗濯物干すだけだから、その間にお風呂にでも入ってて」


彼は、すまんすまんと何度か言いながら、こうなることを予測してわたしがあらかじめ用意しておいた着替えを抱えて浴室へ入って行った。ベランダで洗濯物を干しながら、狭いバスタブに膝を抱えて縮こまってお湯に浸かる彼の姿を思い浮かべたら、何だか可愛くて、少しだけおかしくなった。今日は腕をふるってご馳走をたらふく食べさせてやろう。冬の日差しがあたたかい。今日は洗濯物がよく乾くだろう。ああ、幸せだ。



101230

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