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たぶん、おそらく、きっと

金色の

帯射す真昼の

木下闇



それは8月も半ばに差し掛かった頃だった。


“こうえん”


昼過ぎ、たった四文字の電話を受け取った。千歳だ。受話器の向こうで彼の声が、気だるげに、けれど口調はどこかはっきりと、そう告げた。どうやら公園に来いということらしい。彼のこうした突拍子もない行動は、今に始まった事ではない。私達は十数年来の付き合いのある幼馴染で、私はもうかれこれ十年以上もの間、彼のこうした我儘に付き合わされてきた。

返事を待つ暇(いとま)も与えず、ぶつりと電話は切れた。受取手のいなくなった受話器の向こうに「はいはい」と返事をすると、サンダルをつっかけて、身を焦がすような八月の炎天の下に降り立った。ふっと吐き出したため息すら熱気をはらんでまとわりつく。

“こうえん”というのは、私たちが小さい頃からよく遊んでいた近所にある小さな公園のことで、千歳は決まって公園の真ん中にある木の下のベンチで昼寝をしていた。けれども今日は何やら様子がおかしい。木陰に立ちすくみ、長い両腕を力なくぶらつかせ、呆然と天を仰いでいた。


ただならぬ雰囲気に「どうしたの」と声をかけようとして、思わず息を飲んだ。

木の葉の間から、金色の陽の光がちらちらと不規則な形で彼の顔を照らし、くしゃくしゃのくせ毛の先できらり、きらりと踊った。光の当たらない部分の影が一層濃くなって、肌の上に斑らを作っている。半月型を描く形の良い二重、その下でつるりと輝く眼球に伏せ気味の睫毛が映り込み、妙に生々しかった。すっと通った鼻筋、ちょうど良い凹凸の唇。

吸い込まれてしまいそうだ。“美しい”という一言で形容してしまうのが勿体無いくらい、その姿は私の心を惹きつけて離さなかった。千歳は昔から時折、こういう一面を見せる。私は彼に、魅せられている。


「どげんしたと。人の顔じっと見て」


つい先程私が口にしかけた言葉を、彼の方が投げかけた。


「なんも」


そう答えてベンチに腰掛ける。少し間を置いて彼が隣に座った。

なんね、急に呼び出して。と問えば、彼は「うーん」と、歯切れの悪い返事をして今一度天を仰いだ。これは何かあるな。直感がそう告げた。次の言葉が発せられるのを待っていると、目の前ににゅっと缶の炭酸飲料が差し出された。お詫びばい。と、こちらを見ずに言う。


「暑い中呼び出して悪かったと思ってるばい。お詫び」


一応、自分の我儘の度が過ぎているという自覚はあるらしい。


「そんなん、いつものこつたい。気にしてなかよ」


「ほんなら、来てくれたお礼ちゅうこつで、受け取ってくれんね」


そういうことなら、と差し出された炭酸飲料を受け取る。タブを開けてひとくち口に含むと、甘ったるい甘味料の味が口いっぱいに広がり、舌の裏からじんわりと熱を持ったものがどっと溢れるのを感じた。口の中で、炭酸飲料だか唾液だかわからなくなったものがどろどろ混濁する。一口目のこの感覚が、私はあまり好きではない。どろどろを流し込むように、二口、三口と缶の中のものを飲み込んだ。


「一口くれんね」


私の飲みっぷりを見て、自分も欲しくなったのか、彼がそう声をかけた。無理もない。この炎天下の中、10分以上もの間私を待ち続けたのだから。

飲みかけの缶を差し出すと、彼はそれに唇をあて、喉を鳴らしてごくり、ごくりと飲み込んだ。嚥下に合わせて上下に動く喉仏を見て、彼が男であることを意識する。正直なところ、少し潔癖なところのある私は、まわし飲みが大の苦手であった。相手が彼である場合を除いては、だが。どういうわけか、昔から彼とだけはこういうことをしても不思議と嫌な気持ちにならなかった。幼馴染という立場が、そうさせているのかもしれない。

彼からふたたび缶を受け取ると、表面を結露した雫がつたって、はたはたと私の太腿に落ちた。突然の冷たさに思わず声が出る。「なんね、その声」そう言って彼は目を細めてくつくつと笑った。そういえば、ここに来て今初めて彼の笑った顔を見た気がする。


「わたし、千歳の笑った顔、好きだなあ」


今日の千歳は何だか変ね。もっと笑ってほしか。そう言うと、少し驚いたように目を見開き、まばたきを2回ほどしてから視線を逸らした。彼が照れたときによくする癖だ。

水の雫を手の甲で拭おうとしたとき、彼の黒いもじゃもじゃ頭が私の視野を遮った。何が起こったのかを察するより前に、ざらりとした感触と生暖かい温度を太腿に感じた。視線を落とし目に入った光景に、驚きのあまり一瞬呼吸の仕方を忘れ、“ひゅっ”と喉の奥で乾いた空気が通る音がした。千歳が私の太腿に舌を這わせているではないか。ショートパンツから伸びる生白い肌を透明な露がつたうたびに、その雫を彼の舌がすくった。ざらりとした舌先の凹凸と生暖かい温度を肌で感じる。


「な、にして……」


なにしてんのよ、と言いかけた唇を、先程まで私の太腿をまさぐっていた彼のそれが塞いだ。反射的に振り上げた腕は、抗う術もなく宙を掻いた。舌の上を這うぬるりとした感触に、思わず肩がこわばる。行き場を失った右手に千歳の指が絡まると、指先から伝わる温もりに少しばかり緊張が和らいだ。

唇が離れる。酸素を求めて吸った空気は、真夏の暑苦しさを忘れて冷たく感じた。


たぶん、おそらく、私も千歳も同じことを考えている。よろこびも、哀しみも、夏の暑ささえもわすれてお互いの姿を追いかけていたくなる。だからきっと潔癖な私でさえ、大嫌いなまわし飲みを彼相手であれば許してしまうし、彼も真夏の炎天下で10分以上も私を待っていることを苦としない。軟膜と軟膜の触れ合う柔らかく滑らかな感触が、小難しいことばかりに気を取られていた私の頭を柔くゆるやかに包んで、真夏のけだるい暑さに身を任せるようにもう一度彼の唇をねだった。


たぶん、きっと、“こうしたかった”んだろうなあ。彼の下唇を甘噛みしながら、そんな風に思った。だから今日、ふだんと違う雰囲気だったのかなあ。“そういう気分”だったのかなあ。私の頭の中を、考えてもどうしようもないような憶測がぐるぐると渦を巻く。その間も、唾液をすくう舌の動きは止まらなかったし、私の体を抱きすくめる彼の腕はごつごつと骨ばって硬く、自分の体がどんどんと小さく華奢になっていくような気すらした。頭上を生い茂る葉と葉の間から差し込む木漏れ日が、閉じた瞼を透かして入り込み、ちらちらと金色の光が眼球の表面を泳ぐ。うだるような暑さと、胸のあたりから沸き起こる熱い何かのせいか、皮膚と皮膚の密接部分からじわりと汗が吹き出し、摩擦を少なくしてゆく。まるで溶け合うかのように。


たぶん、おそらく、きっと、私も千歳もずっと前からこうしたかったのだろう。彼もきっと今同じことを考えている。互いの感情を憶測し合うという甘えにも似たその行為を、夏の暑さのせいにして、私は彼の腕の中で小さくなり互いに溶け合ってゆく。つ、とベンチ脇に置いた炭酸飲料の缶を、汗が伝い落ち、私の指先にひやりと触れた。たぶん、私も彼も、それに気が付かない。



180611

二周年&四万打フリリク

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