C.G.
- echo0607
- 2 日前
- 読了時間: 15分
仄暗い水底に沈みゆく最中、私はあなたに心奪われていった
東京で就職して三年、職場の人間関係の諍いに巻き込まれ、心身ともに疲弊しきった私が辿り着いたのは、住み慣れた故郷の港町だった。辞表を出したその日のうちにスーツケースに最低限の荷物を詰め込んで帰省した私を、両親は何も言わずに家に上げてくれた。後になって聞いた話だが、玄関で立ち惚ける私の痩せこけた姿と表情のすっかり無くなった顔つきに、これは只事ではなさそうだと察したのだという。あれから半年経った今はというと、私は父の営む飲食店の手伝いをしながら実家で暮らしている。急坂のこの街は、どこに行っても海と隣合わせで、十代の頃は視界のほとんどを群青色が埋め尽くす風景に飽き飽きしたものだった。職も友人も失った今の私にとって、歩いて三分の距離で浜辺の砂を濡らしている細波は、いざとなればあそこに飛び込んでしまえば良いというある種の選択肢として、私を生きることの重荷から幾許か解放した。
その日は8月だというのに、夏らしくない陽気だった。薄灰色の雲が空一面に立ち込めて陽の光を閉ざしており、普段より低い気温は湿気だけを肌に纏わり付かせて体を重く感じさせた。海は濃紺の色を讃えて、白い網に似た潮目を一層際立たせている。
「その皿洗い終わったら一旦上がっていいぞ」
「はーい」
ランチの営業を終えて片付けをしていると、店の奥で作業をしている父から声がかかった。昼休憩に入ろうと暖簾を下ろしに厨房から出ると、店先で大きな音と共に低い呻き声が聞こえた。
「うう、痛か……」
店の出入り口で、大きな男が頭を押さえて蹲っていた。数秒後、外れた暖簾が男の後頭部を打ち付ける。暖簾は男のもじゃもじゃ頭をワンバウンドし、店先の石畳にからからと軽快な音を立てて転がった。どうやら店に入ろうとして、暖簾の棒に頭を打ちつけたようだ。
「だ、大丈夫ですか?」
「心配せんでよか。いつものことやけん」
男は訛りのある口調でそう答えると、のそりと姿勢を立て直して、今度は少し屈んで店内に足を踏み入れた。
「あの、すみません、ランチ営業は14時までなんです」
店内の壁掛け時計は14時30分を回っていた。
「ありゃー、ここも閉まっとうと?今日は何だか踏んだり蹴ったりばい」
男は眉を八の字に曲げ、肩を落として項垂れた。客のいない静かな店内で、男の腹の虫が鳴く。ここから一番近い飲食店を尋ねられたので、3キロ歩いたところにコンビニがあることを伝えると、途方に暮れた様子で「もう一歩も動きたくなか」と天井を仰ぎ見た。聞けば、昼食を食べられる店を探して5キロほど離れた駅から歩いてきたが、どこの店も潰れていたり閉まっていたりして食事にありつけなかったという。
「兄ちゃん、賄い飯で良かったら食ってきなよ」
厨房からどんぶりを両手に持った父が顔を出した。その表情は、何故か少し嬉しそうだった。
「ええ!よかと?」
「ええよ、ええよ。同郷のモンには優しゅうせないけんね。助け合いよ」
先ほどから彼の訛りのある喋りにどこか聞き覚えがあると思っていたが、どうやら父の故郷の九州訛りだったようだ。父は普段は標準語で喋るが、親戚や稀に来る九州出身の客と喋るときは、自然と方言になる。父からどんぶりを受け取り、店の奥の四人掛けの卓に並べると、男と向き合う形で遅い昼食を取り始めた。男は相当腹が減っていたようで、どんぶりの中のおかずを次々と口に運び入れていく。気持ちの良い食べっぷりだ。ふと、ここに帰ってきてから家族以外の誰かと食事を共にするのは、これが初めてだということに気がつく。東京でのあの一件があってから、私は他人と一定時間同じ空間を共有することが怖くなってしまった。特に食事は駄目だ。食べる順番、口に運ぶまでの動作、飲み込むまでの時間、そしてそれらを行っている間に相手とする会話の全てに神経を注がなければならず、処理しきれない情報量に脳が思考を止めてしまいそうになる恐怖が私を襲うのだ。
「今日はどうしてこんな辺鄙なところにいらっしゃったんですか?」
問いを口に出してから、自分で自分の行いに驚いた。まさか自分が誰かと食事を共にしながら会話を試みる日が来るだなんて、思ってもみなかったからだ。それでも、私の口調はどこかぎこちなさを感じさせるようで、男は「敬語じゃなくてよかよ」と気遣う様子を見せた。
「駅の発券機で千円札ば入れて、目ば瞑って触った切符買うてここに来たばい」
一瞬、彼が何を言っているのか理解が追いつかなかった。発券機で?触った切符を買って?それでここに来た?何故?頭の中が疑問符で埋め尽くされ、思わず首を傾げる。
「どういうこと?」
「発券機に千円札を入れるばい……」
「いや、それはわかるんだけど」
同じ話を繰り返そうとする彼を静止して、どうしてそんなことをするのか尋ねると、彼は困った様子で眉を顰めて「お前さんが期待するような立派な理由なんてなかよ」と少し言葉に詰まったのち、慎重に言葉を選ぶようにゆったりと話し始めた。
「どこか他の場所に行きたか〜ってこつ、誰でもあるやろ?けど、俺はどこに行ったらいいかわからんけん、適当な場所ば見繕っただけったい」
“どこか他の場所に行きたくなる”と彼は言った。東京で行き場をなくした私がまず求めたのは、「ここではないどこか別の場所に行くこと」だった。そしてそれを叶える方法が、私の場合は衝動的にこの港町に舞い戻ることで、彼の場合は無作為に選んだ切符で旅をすることだった。きっとそれだけの違いなのだろう。彼の突飛な行動は未だに理解不能だったが、その根本にある衝動は少しだが理解することができた。
壁掛け時計が15時を指し示し、店内に鐘の音が流れる。私が小学生に上がる前からこの場所で時を刻んできたその時計は、一時間ごとに時間を知らせてくれる。
「お前さん、この後時間はあると?海まで行かんね」
夜の営業まであと二時間ほどあったので、彼の誘いを承諾して外に出ることにした。
眼前に広がる海は濃紺を目一杯詰め込んでいて、薄灰の雲模様とのコントラストも合間って存在感を際立たせていた。まるでこちらを圧倒するかのように何度も打ち寄せる波の音が、普段より大きく聴こえるような気がして少し耳障りだ。男は波打ち際から十メートルほど離れた砂浜に腰掛けると、自分の左隣の地面の砂を叩いて私に座るよう促した。数秒間、沈黙が訪れる。耳に入る波音が幾度となく聴覚を刺激するためか、お互いが無言であることをそれほど意識せずに済んだ。
「こん街はどこへ行っても海が目に入るとね」
そう呟く彼の横顔を、私はどこかで見たことがあるような気がした。風が二人の間を吹き抜ける。無造作に跳ね上がったもじゃもじゃ黒髪が、湿気を孕んだ潮風に掬われて海底の藻のように頬を撫でる。砂が目に入らないように反射的に瞑った瞼の上をうっすらとなぞる二重の線が美しかった。風除けに掲げた日焼けした掌の上で、砂の粒がきらきらと光を弾いて踊っている。
「お前さん、随分窮屈そうに人と話すとね」
男の観察眼に心底驚いた。彼の言うとおりだったからだ。この街に帰ってくるきっかけとなったあの日から、私は他人との会話の中で、自分が口にする言葉や表現、話している最中の表情や仕草のいたるところに正解を求めるようになった。その探究心は、私を他人の世界に触れることの自由さから追放し、狭く深く、答えのない堂々巡りへと連れて行った。
「そうなの。わたし、人とうまく話せなくって」
「そんなら俺が練習相手になるばい。俺は夕方にはここを発つけん。この先会うこともなかろう相手なら、恥も外聞もなかよ」
「随分寂しいことを言うのね」
「本当のことを言っただけったい」
少し突き放したようなその言い草が、今の私にはむしろ心地良かった。暫しの沈黙を置いて、私はぽつりぽつりと東京であったことやここに帰ってきた経緯を話しはじめた。両親にすら打ち明けていないようなことも、誰もいない海辺で、明日になれば記憶の片隅に追いやられて日常に融解していくような他人を相手に話すのであれば、抵抗なく口にすることができた。彼は相槌を打つわけでもなく、黙って遙か向こうの水平線を眺めるだけだった。誰かに聞いて欲しいわけじゃない。これは私にとって過去の精算であり、目の前の海を掃き溜めに見立てて独り言を言っているだけに過ぎないのだ。あたかもそれを察しているかのように、彼は涼しげな表情で、こちらを見ることもなく、砂浜に足を投げ出して潮風を浴びていた。ひとしきり話し終えたところで、今まで黙って話に耳を傾けていた彼が、何の前触れもなく立ち上がった。靴を脱ぎ、迷いのない足取りで真っ直ぐと海の方へ歩き出す。波打ち際で立ち止まるかと思いきや、そのままざぶざぶと波に足を浸して沖の方へと一直線に歩みを進めた。幾度となく打ち付ける波が、そのたびに彼のハーフパンツの裾を濡らして、じわじわと染みを広げていく。その様は、さながら彼という存在が、何か得体の知れないものに侵食されているような光景にも見えた。海と空の境界線に佇む彼の背中がどんどん小さくなっていくのを眺めるうちに、彼がどこか別の世界に吸い込まれて、このまま放っておいたら消えてしまうのではないかという気さえした。
「待って……!」
名前を呼ぼうにも、私は男の名を知らない。靴を脱ぐのも忘れて、彼の元へ駆け寄る。気づけば、太腿の半分くらいまで水に浸かるところまで来ていた。思わず彼の腕を掴もうと手を伸ばすと、男は驚いた様子で振り向き、その拍子に二、三歩後ろによろめいてその場に尻餅をついた。支えるものの無くなった私の体は、前のめりになり、なす術もなく足元の水に吸い込まれていくしかなかった。水面から顔を上げた直後、一際大きな波が打ち寄せた。その瞬間脳裏によぎる、幼い頃の記憶。小さな体に覆い被さる真っ黒な波。波の先端で潮のあぶくが弾ける様子がスローモーションで再生されているみたいにくっきりと記憶に残っているのは、私の体がその場で硬直してしまったからだ。十年以上経った今でも、私は指先一つ動かすことができない。
「危なかよ」
耳元で静かに囁かれた低く静かなその声が、私の体に張り巡らせた呪縛を解き放った。右肩に感じる人肌の感触と温度に少し驚いて顔を上げると、ずぶ濡れになった男が私を抱き寄せ、塩水を浴びていた。
「ごめん、ぼーっとしちゃって」
男は私を抱き寄せる力を緩めなかった。
「大丈夫、大丈夫ばい」
何が大丈夫なのか分からなかったが、私を宥めるように何度も繰り返されるその言葉に、だんだんと指先が体温を取り戻してゆく。ずっと昔にも、こんなことがあったような気がした。
確か、十歳になる前くらいの頃だったと思う。夏休み、家族で父の実家のある九州に遊びに行ったとき、地名まではよく覚えていないが、親戚一同で近場の海水浴場に行こうという話になった。幼かった私は、祖父に買ってもらった浮き輪を抱えて、初めての海水浴場に胸を躍らせ、誰よりも先に海に飛び込んだ。八月の中頃、ちょうどお盆のシーズンで、浜辺も海も見渡す限り人でごった返していた。人混みに慣れていない私は、父の側で泳いでいたはずが、人の合間を縫って動き回るうちに、いつの間にか沖の方に流されていた。先ほどまでつま先で蹴っていた海底がもう届かないところにあることに気づいた途端、パニックになり、少しでも岸辺に近づこうと手足をばたつかせた。その拍子に、少し大きめだった浮き輪からするりと体が抜け落ちた。目の前の景色が一瞬にして揺らぎ、少し遅れて自分が水の中にいることに気がつく。何度も水を掻いたが、もがけばもがくほど水面は遠ざかっていった。もうこのまま一生ここから上がれないんじゃないかと思ったときだった。不意に腕を誰かに掴まれ、引き上げられた。水中にあった体が外の空気に触れた瞬間に自らの重さを取り戻す。
「危なかよ」
水面から顔を上げると、自分と同じくらいの歳の少年の顔が、触れてしまいそうなくらいの距離にあった。彼が私を引きて上げてくれたのだと悟る。少年の喋り口調は、父が祖父たちと話すときの独特の訛り言葉と同じだった。浅黒い肌ともじゃもじゃの髪。水に浸かって輪郭が曖昧になっていても、手足が長く長身だとわかる骨格。くっきりとした二重の目の縁で、真っ黒なまつ毛が元気に水を弾いていた。アニメ映画で見たターザンみたいだな、と思ったのを今でもよく覚えている。
「大丈夫、大丈夫やけん。落ち着くばい」
ゆっくりと宥めるような口調で何度もそう繰り返しながら、少年は私を肩を優しくさすった。ようやく「ありがとう」と口にしようとしたとき、一際大きな波が打ち寄せた。途端に私を包んでいた人肌の感触がなくなり、海に放り出される。先ほど溺れたときに感じた恐怖が再び私を蝕み、四肢に至る自我の感覚を曖昧にしてゆく。小さな私の体は、海に対してあまりにも無抵抗だった。今度こそ本当に死んでしまうのかもしれない。そんな考えが脳裏をかすめたとき、薄く開けた瞼の隙間から、同じ速さで水底に落ちていく少年の姿を捉えた。髪の間から溢れた空気の粒が不規則な軌道で水面に上がってゆく様を見ながら、溶けゆく意識の中で“宝石みたいだ”などと思った。閉じられた瞼の上で、太陽の光が海を透かしてまだら模様を作って踊っていた。
そこから先のことはあまり覚えていない。気がつくと私は浜辺のブルーシートの上に横たわっており、目を覚ますや否や、真っ青な顔の母と、落ち着かない様子の祖父母、怒っているのか泣いているのかよくわからない表情の父と一同に対面した。その後、帰りの車の中で父から「勝手にうろちょろするなと言っただろう」とお叱りを受けた。その父が母から「あんたがちゃんと見てなかったからでしょう」と引っ叩かれているのを、祖父母から貰ったアイスクリームを食べながら眺めていたのを覚えている。私とあの少年が溺れた場所は、思っていたよりずっと浅瀬だったようで、溺れている最中は全く気が付かなかったが、周囲にはまばらだが何人か大人もいたそうだ。そのうちの数人が私に気がつき、浜辺に運んでくれたらしい。目が覚めたとき少年の姿はなく、父母に聞いても私以外に引き上げられた人はいなかったと言う。あれ以来、あの少年があのまま海底に引き摺り込まれてしまったのではないかと気掛かりで仕方なかった。
「落ち着いたと?」
海底のように真っ暗な瞳の奥で、小さな私がこちらを覗いていた。大きな二重の目の縁を、水濡れた睫毛が艶やかに彩っている。くしゃくしゃの髪を伝う小さな水の粒のひとつひとつが、まるで宝石のようだった。それらが瞬く様を、浅黒い肌が際立たせている。昔アニメ映画で見たターザンみたいだ。
「そんな目で男を見たらいかん」
そう言って彼は私を抱き寄せる力を緩めた。
「ねえ」
「うん?」
「昔、海で自分と同じ歳くらいの女の子を助けたことはない?」
彼は少し考える素振りを見せた後、「覚えとらんね」とだけ言った。その視線は、私ではなく、遥か向こうの水平線を捉えていた。海鳥の鳴く甲高い声や、先ほどまでうるさいくらいだった波の音が、フィルターを挟んだようにくぐもって聞こえる。肌を撫でる海風の感触はどこか現実味を帯びていなくて、膜を張っているような曖昧さだけを残していた。海と空は、私たち二人を境目にくっきりと色を違えている。
「わたしと一緒に、ここではないどこか他の場所に行ってみない?」
「それはよか案ばい」
そう言って彼は口元を僅かに綻ばせた。
「でも、やめとくったい。どこへ行ってもきっと同じこつやと思うけん」
「そうね、わたしもそう思う」
しばらくすると、彼は私に背を向け、岸に向かって海を掻き分け歩き始めた。
「待ってよ」
名前を呼ぼうにも、私は男の名を知らない。
陸に上がると、二人してずぶ濡れになっているのが急に面白おかしくなってきて、浜辺の砂を踏む足取りが少しばかり軽くなった。男を濡れたまま帰すわけにもいかないので、店の裏口まで案内し、しばらくそこで待つように伝えた。私だけ先に家の中に入り、厨房で仕込みをしている父に声をかけた。簡単にいきさつを伝え、彼の服が乾くまでで良いから少しだけ家に上げても良いかと尋ねると、父は最初こそ私の姿に驚きはしたものの、「少しだけと言わず婿にでも来たらいい」と軽口を叩いた。風呂場からバスタオルを二枚取り出し、一枚で体を拭き、もう一枚を抱えて裏口に戻る。扉を開けると、そこに男の姿はなかった。裏口のアスファルトに大きな水溜りだけを残して、彼は忽然と姿を消していた。水溜りから表の通りに向かって十数歩ほど足跡が残っていたが、不思議なことに通りに出るとそれもぷつりと途絶えていた。
「急に現れたと思ったら、すぐいなくなって、相変わらず神出鬼没だな」
一緒に彼を探していた父が、呆れたように呟く。腰に手を当てて表通りの遙か先を眺め、小さくため息をついた。それより、先ほど父は何と言ったか。“相変わらず”と言っていなかったか。
「お父さん、あの人に会ったことがあるの?」
あるよ。と、父は答えた。
「お前がまだ小学生くらいの頃、九州の海で溺れたことあったろ?そのときにお前の傍にいた子じゃないかな。少し話しただけだったし、目を離したらいなくなっていたけど、見間違えるはずないよ。よく覚えてる」
「でも、私が溺れたとき、他に引き上げられた子はいなかったって……」
「うん、いなかったよ」
引き上げられた子はいなかった。彼は大人たちと一緒にお前の腕を引いて海から上がってきたんだ。そう父は説明を付け加えた。その話が本当なら、私があのとき海底に沈みゆくさなかに見た彼の姿は何だったのだろう。瞼を閉じ、まるで死人のように穏やかな表情で仄暗い水底に吸い込まれていく様を思い出す。彼はあのとき本当は意識があったのではないだろうか。そんな気がしてならなかった。もし仮に、あのときの彼が意識を保ちながらも水底に吸い寄せられる力に身を委ねていたのだとしたらーーー ぞわりと背中に冷たいものが走った。“どこか他の場所に行きたい”という男のその願いは、もしかしたら彼が幼少期の頃からずっと抱き続けていたものなのかもしれない。そしてそれは、私が想像するより遥かにずっと死と隣り合わせだった。
遠くから電車の車輪が鉄のレールを打ち鳴らす音が聞こえる。“がたたん、がたたん”と、規則的な間隔で鼓膜を振るわせるその音は、背後から近づいてきて、私の横を通り過ぎ、遥か向こうの水平線へと吸い込まれていった。この音を、男もどこかで耳にしているのだろうか。夏風が表通りを走り抜け、濡れた肌から体温を奪っていく。“がたたん、がたたん”頭の中で、車輪の音が鳴り止まない。
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